どこで何をしていたというわけではない
ネットにはいた
投稿せずにいると半年で消されるとばかり思っていた
ここは私の思い出も場所である
残っていてくれていることに感謝する
北海道に帰ることはきっともうない
そう感じたときからココの更新は滞り初めた
2006年あたりからか・・・
5年という月日をわたしはどう過ごしていたのだろうか
東京西部の夜の空が好きだ
東から南に広がる都心の灯りを遠くに眺めるのが好きだ
マンションの8階に住み始めて2年
毎日都心方面の夜空を眺めている
東京タワー
新宿高層ビル
羽田の上空を行き交う飛行機
それぞれの灯り
月明かりに浮かび上がる街路樹
そろそろ私も先が見えてきた
決断!
決断、とはなんだろうか
311から何かが壊れたまま修復できない
日本が壊れていく・・・
2011年11月22日
ほぼ2年ぶりのカキコ
ニックネーム ふわふわ at 21:51
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| ふわふわ日々雑感
2009年12月22日
テンプレ変更
IE8やGoogleCheromeなどでは、以前の加工スタイルシートが反映されていないようなので、既定のテンプレを使用することにした。
ニックネーム ふわふわ at 00:09
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| 観た
2009年06月05日
耳を傾けることの憂鬱
遠くへ
さらに遠くへ
置き去りにされてしまった
と
ふと
苦い頬のゆるみ
明日が来ると 信じているわけではないが
取りあえず
明日は
この身にもやってくるに違いない
どれほどの時間が
まだ残っているというのだろうか
ニックネーム ふわふわ at 20:41
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| 音楽
2009年03月11日
[ 「ありがとう」:KOKIA
ニックネーム ふわふわ at 20:57
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| 音楽
2008年12月24日
2008年10月01日
『Expressions』竹内まりや 今日発売でぇーす。
竹内まりやオフィシャルサイト
「Expressions 収録曲は42曲」
女性に人気の竹内まりやだが、男の私だって好きな歌手だ。
「駅」 「シングル・アゲイン」 「返信」 「象牙海岸」
Youtubeにたくさんアップされていて、嬉しい。
そして、今日発売の「Expression」は近々購入の予定。
当然、ドライブで聴くし、PCに落として聴きながらネットする。
この記事は、別ブログと同じ記事です。
最近は、多忙で別記事を書く余裕なし・・・
「Expressions 収録曲は42曲」
女性に人気の竹内まりやだが、男の私だって好きな歌手だ。
「駅」 「シングル・アゲイン」 「返信」 「象牙海岸」
Youtubeにたくさんアップされていて、嬉しい。
そして、今日発売の「Expression」は近々購入の予定。
当然、ドライブで聴くし、PCに落として聴きながらネットする。
この記事は、別ブログと同じ記事です。
最近は、多忙で別記事を書く余裕なし・・・
ニックネーム ふわふわ at 20:01
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| 音楽
2008年07月04日
2008年04月15日
うたかた(平川地一丁目)
YoutubeにPVがアップされていたので貼っておこう!
私は彼等を応援している。なぜ応援するかと言えば、それは・・・ある共通点があるからです。
懐かしさを運んでくれているような気がする。
私は彼等を応援している。なぜ応援するかと言えば、それは・・・ある共通点があるからです。
懐かしさを運んでくれているような気がする。
ニックネーム ふわふわ at 18:23
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| 音楽
2008年01月31日
Brad Paisely Feat. Allison Kraus Whiskey Lullaby(From Youtube)
ニックネーム ふわふわ at 20:14
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| 音楽
2007年10月11日
2007年07月06日
Ashes and Snow
上三枚の写真は ココ からお借りしました。
Ashes and Snow公式サイト
Cさんも書いていたが、お台場で開催されていた移動美術館「ノマディック美術館」で開かれていた『Ashes and Snow』が先月終わった。
六本木ヒルズの美術館で開かれていたものの巨大版がお台場での「ノマディック美術館」。
この催事を見て思うのは、
この状況で写真や映像を撮るためにはどれほどの時間と愛情を注ぎ込んで動物と真剣に向き合うってきたのかを知りたくなったのと、
猛獣と言われる動物でさえ、人間とここまで交感できるのだという驚き。
特撮などではないのだ。
豹と肩を並べて砂漠に佇む映像があるのだが、憧れてしまう。
まるで豹が人間を守ってでもいるかのようだった。
目を瞑って横たわる人間の傍らで砂漠を静かに見渡している豹の姿は、なんとも逞しい。
DVDを買ったのだが、本当は写真集が欲しかった。印画素材が和紙であるためか、撮影素材の故かとても私に買える値段ではなかったのが残念。
プレゼントされたら大感激なんだが…(笑)
突然のエントリーでしたが、なにしろ3ヵ月以上経っているので、削除される前に駆け込みエントリーしておきます。
他で雑文書いており多忙?のため、ココへの次回エントリーは、秋になるでしょう(汗)
ニックネーム ふわふわ at 18:56
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| 写真
2007年03月30日
「未知への飛行」 - FAIL SAFE - 1964年(米)
goo−映画
原題:FAIL SAFE
随分と古い映画で、当然ながらモノクロの映画。
それより何より、おそろしく低予算な映画で、映画につきもののBGMさえ無い。
ソビエトとのホットラインが引かれている大統領の執務室には机があるきりだし、軍の統合作戦室の舞台セットも決して大掛かりな代物ではない。
あとは、どこからかの借用と思われる戦闘機が飛んでいるシーン。
それと、戦闘機のコックピットが映る。
それくらいの場面しかない。
なのに、この映画何ともリアリティがあって充分に見ごたえがった。
軍人・学者・大統領、そしてソ連側との会話の緊迫感は何事もエンタティメントに徹しようとする派手な今日このごろの映画と比べてみても、それ以上の力で真に迫ってくるものがあった。
演出の確かさもあるが、俳優陣の派手さのない抑えた演技ゆえの迫力があった。
詳しい映画評は、私なんかより以下のサイトを参考にどうぞ
ブログ「映画フェイス」
ブログ「毎日が映画記念日」
続きを読む
原題:FAIL SAFE
随分と古い映画で、当然ながらモノクロの映画。
それより何より、おそろしく低予算な映画で、映画につきもののBGMさえ無い。
ソビエトとのホットラインが引かれている大統領の執務室には机があるきりだし、軍の統合作戦室の舞台セットも決して大掛かりな代物ではない。
あとは、どこからかの借用と思われる戦闘機が飛んでいるシーン。
それと、戦闘機のコックピットが映る。
それくらいの場面しかない。
なのに、この映画何ともリアリティがあって充分に見ごたえがった。
軍人・学者・大統領、そしてソ連側との会話の緊迫感は何事もエンタティメントに徹しようとする派手な今日このごろの映画と比べてみても、それ以上の力で真に迫ってくるものがあった。
演出の確かさもあるが、俳優陣の派手さのない抑えた演技ゆえの迫力があった。
詳しい映画評は、私なんかより以下のサイトを参考にどうぞ
ブログ「映画フェイス」
ブログ「毎日が映画記念日」
続きを読む
ニックネーム ふわふわ at 19:15
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| 観た
2006年12月25日
「ビレッジ」2004年(米)
wowowow で観た。⇒ 「The Village」
Amazon
この映画、2.5回観た。
後半に明かされる村の真実は、胸が詰まる想いだ。
閉じた共同体への希求がわたしたちの中にもあるのだという気がしてならなかった。
ネタばれすると困るのであまり詳細を書けないけれど、
この平和な村を守り続けることの困難もまた、現代社会に突きつけられた難題でもあるのだ。
長老と呼ばれる村を治める年長者たちによってなされる自治は、生臭い現代の政治状況とはその有り様を異にする。
彼らは至極まじめで普通の人間であり、かつそれぞれが理由は違っているが過去に打ちひしがれているのだ。
そして選んだ結論が、この「村」であった。
哀しくも健気な選択を誰も責めることは出来ないだろうし、
今もし、私達にも莫大な財産があるなら、「村」を作りたいと願う気持ちを抑えることは出来ないだろう。
だが、村は長老たちだけで生きて死んでいく場所ではないのだった。
年月と共に若者や子供は、その本来持つ勇気と好奇心とによって、世界を垣間見ようとするものだ。
世界を見たいという欲求だけではなく、世界へ飛び立ちたいと願うものでもある。
良心と善とによって守られる「村」から、否応なく羽ばたいていくものなのだろう。
たとえ、世界が困難と哀しみに満ちていても、その羽ばたきは止むことがない。
いろんな観かたがあるだろうけれど、
私にとってこの映画は「理想郷」を作る方法と対策だと思う。
たとえ、それが頭の中で空回りする「想いの中の理想郷」あったとしても、
目を瞑って想わないはずのない世界だった。
2006年11月08日
サクサク動け!laputaぁ〜〜〜(泣)
今日はなんとかまともに入れたけど、ここんとこちっとも入れなかったゾ。サーバの動き悪すぎるんでないかい?なんだか動画だかポッド・キャストだかもアップ出来る仕様にしたせいではないですか?
文と写真しか載せない身としてみれば、これは全く心外な拡張作業。サクサク動くように動脈を拡張し、心臓の排気量をアップしてから動画コンテンツを導入して欲しかった・・・。
これじゃぁ、痩せの肉無しさんが80キロのバーベルをベンチプレスしているようなもの。
・・・あ・あ・あ、laputaさんお許しを。
悪口などではありません。要望ですから悪しからず、ご贔屓に願います。
ほっ・・・。
先のエントリー後、たくさんの映画をテレビで観たけど、再観・再々観の映画も多かった。
なんと、「モンスター」を三度も観た次第。観れば観るほどに後半の裁判シーンで証言台に立つセルビーの不遜な態度に腹を立てた。で、そんなに真剣に観るなよ、ふわふわ!というわけですが、なんともアイリーンが憐れでならないんだ。これは事実に基づいた作品ではあるが、あくまでこの物語は映画でのこと、映画上の物語りに対してブツブツ言う。
まぁ、セルビー役のクリスティーナ・リッチの独特な演技とその目の表情が天才的なのだった。
勿論、アイリーン役のシャーリーズ・セロンの体当たり演技はこれはもう何も言うことがないほどに至上。
この映画の絵はブルジュアセレブ的な美的画面ではないけれど、底辺で暮らしたこのある身としては、そのどうしてみようもない堕ちる運命の中で、悪の片隅に咲く一輪の可憐な花を求めて止まない精神の美は感じる。
今日はとってもサクサク感のあるlaputaさんでした。
これからもよろしうに。
文と写真しか載せない身としてみれば、これは全く心外な拡張作業。サクサク動くように動脈を拡張し、心臓の排気量をアップしてから動画コンテンツを導入して欲しかった・・・。
これじゃぁ、痩せの肉無しさんが80キロのバーベルをベンチプレスしているようなもの。
・・・あ・あ・あ、laputaさんお許しを。
悪口などではありません。要望ですから悪しからず、ご贔屓に願います。
ほっ・・・。
先のエントリー後、たくさんの映画をテレビで観たけど、再観・再々観の映画も多かった。
なんと、「モンスター」を三度も観た次第。観れば観るほどに後半の裁判シーンで証言台に立つセルビーの不遜な態度に腹を立てた。で、そんなに真剣に観るなよ、ふわふわ!というわけですが、なんともアイリーンが憐れでならないんだ。これは事実に基づいた作品ではあるが、あくまでこの物語は映画でのこと、映画上の物語りに対してブツブツ言う。
まぁ、セルビー役のクリスティーナ・リッチの独特な演技とその目の表情が天才的なのだった。
勿論、アイリーン役のシャーリーズ・セロンの体当たり演技はこれはもう何も言うことがないほどに至上。
この映画の絵はブルジュアセレブ的な美的画面ではないけれど、底辺で暮らしたこのある身としては、そのどうしてみようもない堕ちる運命の中で、悪の片隅に咲く一輪の可憐な花を求めて止まない精神の美は感じる。
今日はとってもサクサク感のあるlaputaさんでした。
これからもよろしうに。
2006年09月25日
『チョコレート』(MONSTER'S BALL)2001年(米)
映画について書く前にひとこと
Uちゃん、お誕生日オメデトウ!!
と、全く個人的なメッセージでした。すんません(^^;)
オフィシャルサイト

いつものように映画のあらすじは→こちら(goo映画)に譲る。
原題はチョコレートではなく、モンスターズ・ボール。確かにチョコレートは映画の中では何度か出てくる素材だから、この邦題も悪くはないのだろう。この方が日本の観客にはスンナリと受け入れられるのかも知れない。しかし・・・なぜなのだろうか?いつも思うのだが原題を素直に踏襲しても一向に構わないと思う。まるで、原題と違う邦題を考えるのが重大な仕事ででもあるかのような配給側にはいつもながら納得の行かないふわふわです。
検索しても、このモンスターズ・ボールが何を意味するのかを書いてあるサイトにぶつからない。よって、その意味をふわふわは知らない。もしかしたら、主人公の息子タイレルが好きだった赤玉のチョコボールのことか?それとも、人種差別がまだ根強く残るアメリカ南部の“何か”の暗喩なのか、知る術を持たない。機会ある毎に調べてみるつもりだが、映画の紹介・解説サイトはそのことに触れて欲しいものだと思う。
さて、このドラマはとても重くて激しい。腹にズンとくるようなやり切れなさが支配している。死刑執行の場面があり、その執行官ソニーの自殺があり、チョコバー好きのタイレルの事故死がある。主人公レティシアは家賃が払えず家を追い出されるし、ソニーの父であるもうひとりの主人公ハンクは老いて差別意識の強い父を老人施設に入れる。
なのに恋愛映画である。レティシアとハンクは愛し合うようになるのだが、自然だ。死刑が執行されたのはレティシアの夫であり、その死刑の執行官はハンクでありソニーなのだから、現実には有り得そうも無い設定だと言えるけど映画だもんね。いいんだ。これで。映画というのは、人生を濃縮させて見せてくれてこそだから。
ラストシーンはふわふわには納得出来るのだが、このシーンを二通りの可能性があると解釈する人がいる。→wikipedea
なるほどこういう観かたもあるのかと思ってみたが、なんかこれは違うんでないの?とふわふわは考える。このシーンはふたりの決意が現れている最良のラストだと思える。おそらくレティシアは知った事実を生涯語ることはなく、ハンクもそのことには触れないで過ごすだろう。
「君を大切にするよ」
「ええ、あたし大切にされたいの」
この科白がこのラストシーンの前に出てくる。静かに優しく愛し合うベッドでのことだ。
レティシアが夫の死刑を執行した刑務所の刑務官がハンクであることを知ったいきさつを書いてみる。うまく伝わるかどうか・・・。
ベッドシーンの後、ハンクはアイスが食べたい気分だからこれから街へ買いに行くという。レティシアに何が食べたいかと聞くと彼女は「チョコレート」と言う。まあ、この科白があるから邦題がチョコレートであっても構いはしないと思ったんだろうが、それではこの映画から受ける重い内容は伝わらないのではないだろうか、と余談。
彼が車で街へ出ている間にレティシアは夫の死刑執行された刑務所にハンクが勤めていたことを知ってしまう。彼女は嗚咽し涙を流しながら拳でベッドを何度も叩く。チョレートアイスを買ったハンクは途中開店間近な自分の店(彼は物語の途中で刑務官を辞めている)を車から見る。看板には「レティシアの店」と書いてあるのだ。
チョコアイスを買って帰宅するとレティシアは放心状態だ。「大丈夫か」と聞くハンク。ただ頷くだけのレティシア。「途中店に寄ってきたよ、看板がいいんだ」とハンク。レティシアはこの場面から数分後の映画のラストまで言葉を発しない。庭へ続く外の階段で食べようと誘うハンク。ふたり並んで腰かける。ハンクはひと口あるいはふた口アイスをプラスティックスプーンで食べる。そのときレティシアは庭にある三つの墓を見つめる。自殺したソニーの墓もそこにあるのだ。ハンクはプラスティックのスプーンでレティシアの口にアイスを運ぶ。口に入れるレティシア。そのとき、彼女が微かに微笑んだ気がする。エンドロール。という映画。
このラストシーン以降のふたりがどうなるのか分からないという感想を抱く人がかなりいた。→allcinemaだけどふわふわには確信がある。ふたりは上手くいく。ハンクの黒人への差別感情は施設に父を送ったことで解消されているのだ。なぜなら、ハンクは頑固な差別主義者である父と暮らしてきたことで、自身の心にある本来を表現できずにいたのだ。彼の差別意識はまるで止むを得ない伝統伝承のようなものだったのだ。ずるずると引き摺ってきた家風でしかなかった。その家風の要である父を施設に送ったことで、ハンクは差別意識から完全に決別した、とふわふわは思った。息子ソニーにはまったくそういう差別意識は無かった。ハンクはレティシアに回想して、「息子は優しい子だった」と語っている。ハンクはソニーの死と引き換えに学んだのだと思う。
プラスティックのスプーンが差別ゆえの道具なのだと誰かが書いていたが、そのことが何を意味するのか分からないながらも大事な意味を持つのだろうと思い、あえてその単語を書き記してみた。
アッシュ&スペンサーのサントラがこの重い映画をとても静かに運んでくれた。
ふわふわ的にはベスト3映画でした。
Uちゃん、お誕生日オメデトウ!!
と、全く個人的なメッセージでした。すんません(^^;)
オフィシャルサイト
いつものように映画のあらすじは→こちら(goo映画)に譲る。
原題はチョコレートではなく、モンスターズ・ボール。確かにチョコレートは映画の中では何度か出てくる素材だから、この邦題も悪くはないのだろう。この方が日本の観客にはスンナリと受け入れられるのかも知れない。しかし・・・なぜなのだろうか?いつも思うのだが原題を素直に踏襲しても一向に構わないと思う。まるで、原題と違う邦題を考えるのが重大な仕事ででもあるかのような配給側にはいつもながら納得の行かないふわふわです。
検索しても、このモンスターズ・ボールが何を意味するのかを書いてあるサイトにぶつからない。よって、その意味をふわふわは知らない。もしかしたら、主人公の息子タイレルが好きだった赤玉のチョコボールのことか?それとも、人種差別がまだ根強く残るアメリカ南部の“何か”の暗喩なのか、知る術を持たない。機会ある毎に調べてみるつもりだが、映画の紹介・解説サイトはそのことに触れて欲しいものだと思う。
さて、このドラマはとても重くて激しい。腹にズンとくるようなやり切れなさが支配している。死刑執行の場面があり、その執行官ソニーの自殺があり、チョコバー好きのタイレルの事故死がある。主人公レティシアは家賃が払えず家を追い出されるし、ソニーの父であるもうひとりの主人公ハンクは老いて差別意識の強い父を老人施設に入れる。
なのに恋愛映画である。レティシアとハンクは愛し合うようになるのだが、自然だ。死刑が執行されたのはレティシアの夫であり、その死刑の執行官はハンクでありソニーなのだから、現実には有り得そうも無い設定だと言えるけど映画だもんね。いいんだ。これで。映画というのは、人生を濃縮させて見せてくれてこそだから。
ラストシーンはふわふわには納得出来るのだが、このシーンを二通りの可能性があると解釈する人がいる。→wikipedea
なるほどこういう観かたもあるのかと思ってみたが、なんかこれは違うんでないの?とふわふわは考える。このシーンはふたりの決意が現れている最良のラストだと思える。おそらくレティシアは知った事実を生涯語ることはなく、ハンクもそのことには触れないで過ごすだろう。
「君を大切にするよ」
「ええ、あたし大切にされたいの」
この科白がこのラストシーンの前に出てくる。静かに優しく愛し合うベッドでのことだ。
レティシアが夫の死刑を執行した刑務所の刑務官がハンクであることを知ったいきさつを書いてみる。うまく伝わるかどうか・・・。
ベッドシーンの後、ハンクはアイスが食べたい気分だからこれから街へ買いに行くという。レティシアに何が食べたいかと聞くと彼女は「チョコレート」と言う。まあ、この科白があるから邦題がチョコレートであっても構いはしないと思ったんだろうが、それではこの映画から受ける重い内容は伝わらないのではないだろうか、と余談。
彼が車で街へ出ている間にレティシアは夫の死刑執行された刑務所にハンクが勤めていたことを知ってしまう。彼女は嗚咽し涙を流しながら拳でベッドを何度も叩く。チョレートアイスを買ったハンクは途中開店間近な自分の店(彼は物語の途中で刑務官を辞めている)を車から見る。看板には「レティシアの店」と書いてあるのだ。
チョコアイスを買って帰宅するとレティシアは放心状態だ。「大丈夫か」と聞くハンク。ただ頷くだけのレティシア。「途中店に寄ってきたよ、看板がいいんだ」とハンク。レティシアはこの場面から数分後の映画のラストまで言葉を発しない。庭へ続く外の階段で食べようと誘うハンク。ふたり並んで腰かける。ハンクはひと口あるいはふた口アイスをプラスティックスプーンで食べる。そのときレティシアは庭にある三つの墓を見つめる。自殺したソニーの墓もそこにあるのだ。ハンクはプラスティックのスプーンでレティシアの口にアイスを運ぶ。口に入れるレティシア。そのとき、彼女が微かに微笑んだ気がする。エンドロール。という映画。
このラストシーン以降のふたりがどうなるのか分からないという感想を抱く人がかなりいた。→allcinemaだけどふわふわには確信がある。ふたりは上手くいく。ハンクの黒人への差別感情は施設に父を送ったことで解消されているのだ。なぜなら、ハンクは頑固な差別主義者である父と暮らしてきたことで、自身の心にある本来を表現できずにいたのだ。彼の差別意識はまるで止むを得ない伝統伝承のようなものだったのだ。ずるずると引き摺ってきた家風でしかなかった。その家風の要である父を施設に送ったことで、ハンクは差別意識から完全に決別した、とふわふわは思った。息子ソニーにはまったくそういう差別意識は無かった。ハンクはレティシアに回想して、「息子は優しい子だった」と語っている。ハンクはソニーの死と引き換えに学んだのだと思う。
プラスティックのスプーンが差別ゆえの道具なのだと誰かが書いていたが、そのことが何を意味するのか分からないながらも大事な意味を持つのだろうと思い、あえてその単語を書き記してみた。
アッシュ&スペンサーのサントラがこの重い映画をとても静かに運んでくれた。
ふわふわ的にはベスト3映画でした。
2006年09月17日
『明治の館』 オムレツライスとチーズケーキ
2006年09月13日
いつか読書する日 2005年公開(邦画)
公式オフィシャルサイト

坂の街長崎を舞台にした珠玉の作品。とは言っても長崎だとはひと言も言ってないし、第一長崎弁などではなかったから、“とある坂の街”という設定なのだと思う。この映画、ふわふわが主人公たちと年齢が近いせいだろうか、静かに滲み入ってくるものがあった。
「……お兄さんやお姉さんたちはこの町を出て行くけれど、私は出ていかない。一生この町で生きていく……」中学生の大場美奈子は教室で作文を読む。そして月日が経ち50歳になった彼女は作文に書いた通り坂の街で生きている。本に埋もれている部屋でたったひとり…。
「私には大切な人がいます。でも、私の気持ちは絶対に知られてはならないのです…」そうラジオの番組に葉書を送った美奈子がリクエストした曲は、ポール・ウィリアムズの「Rainy Days And Mondays」。カーペンターズが歌っていた曲で聴けば誰でもが、ああこれか、とわかる歌。美奈子がカーペンターズの「Rainy Days And Mondays」としてリクエストせずに、ポール・ウィリアムズのとしたのかは、歌詞を読めば納得がいく。彼が詞を書いたのだから。
Talkin' to myself and feelin' old
Sometimes I'd like to quit
Nothing ever seems to fit
Hangin' around
Nothing to do but frown
Rainy Days and Mondays always get me down.
What I've got they used to call the blues
Nothin' is really wrong
Feelin' like I don't belong
Walkin' around
Some kind of lonely clown
Rainy Days and Mondays always get me down.
Funny but it seems I always wind up here with you
Nice to know somebody loves me
Funny but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me.
What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothing to do but frown
Rainy Days and Mondays always get me down
ふわふわは英語はトンと苦手なので、こちら→EIGO21 の こちら→訳詩 を読んでいただいた方がいい。
納得していただけましたね。
そういうわけで、いい映画でした。
俳優さんたちの持ち味がとても良く表現されていたと思う。
坂の街長崎を舞台にした珠玉の作品。とは言っても長崎だとはひと言も言ってないし、第一長崎弁などではなかったから、“とある坂の街”という設定なのだと思う。この映画、ふわふわが主人公たちと年齢が近いせいだろうか、静かに滲み入ってくるものがあった。
「……お兄さんやお姉さんたちはこの町を出て行くけれど、私は出ていかない。一生この町で生きていく……」中学生の大場美奈子は教室で作文を読む。そして月日が経ち50歳になった彼女は作文に書いた通り坂の街で生きている。本に埋もれている部屋でたったひとり…。
「私には大切な人がいます。でも、私の気持ちは絶対に知られてはならないのです…」そうラジオの番組に葉書を送った美奈子がリクエストした曲は、ポール・ウィリアムズの「Rainy Days And Mondays」。カーペンターズが歌っていた曲で聴けば誰でもが、ああこれか、とわかる歌。美奈子がカーペンターズの「Rainy Days And Mondays」としてリクエストせずに、ポール・ウィリアムズのとしたのかは、歌詞を読めば納得がいく。彼が詞を書いたのだから。
Talkin' to myself and feelin' old
Sometimes I'd like to quit
Nothing ever seems to fit
Hangin' around
Nothing to do but frown
Rainy Days and Mondays always get me down.
What I've got they used to call the blues
Nothin' is really wrong
Feelin' like I don't belong
Walkin' around
Some kind of lonely clown
Rainy Days and Mondays always get me down.
Funny but it seems I always wind up here with you
Nice to know somebody loves me
Funny but it seems that it's the only thing to do
Run and find the one who loves me.
What I feel has come and gone before
No need to talk it out
We know what it's all about
Hangin' around
Nothing to do but frown
Rainy Days and Mondays always get me down
ふわふわは英語はトンと苦手なので、こちら→EIGO21 の こちら→訳詩 を読んでいただいた方がいい。
納得していただけましたね。
そういうわけで、いい映画でした。
俳優さんたちの持ち味がとても良く表現されていたと思う。
2006年08月24日
「リンダ リンダ リンダ」
オフィシャル・サイト
壷に嵌る登場人物たちが多数出てくる映画
監督は『リアリズムの宿』(まだ観ていない…)の山下敦弘氏。
情けない男を描かせたら天下一品の天才肌の新進の映画監督だ。
劇中で使われる曲はもちろん『リンダ リンダ』で、それは80年代後半に現れたロックバンド「THE BLUE HEARTS / ザ・ブルーハーツ」の曲。
その歌がヒットしたころは、私はいいかげん大人になっていて、私にとっては青春の音楽ではないが、それなりに好きだった。
カラオケでは飲み仲間と一緒に声を張り上げて歌ったものだ。
韓国の女優ペ・ドゥナがボーカルを担当する留学生役で出演している。
お涙頂戴の韓流映画の役者たちとは一味も二味も違っていて好感。
クリクリした目をして日本語で歌う「リンダリンダ」、ノリノリでシャウトする姿に思わず微笑んでしまう。
他の主演者も粒ぞろいだ。
ドラムスを担当する響子役は『バトルロワイヤル』に主演した前田亜季だが、
演技力はたいしたものがある。
ベース担当の望役にはクールでトボケタ感じが壷の関根史織。
ギターを弾く恵役の香椎由宇は、誰だろう?誰かに似ている美人型の女優だが笑顔がキュートだ。
女子高校生の青春賛歌だが、主演する男・男子たちの存在が物語りに最高の味付けをしている。
まあ、あらすじは公式サイトに譲るとして、
私が特出すべき映画だと感じたことを少し書くことにする。
この映画に出演するすべての人の科白がまったく自然だということだ。
普段の会話そのものなのだ。
演技っぽい科白は完全に排除されている。
私は現代日本映画の前衛を見た気がしたのだが、どうだろうか?
こういう演技が出来る映画は役者にとっては宝だろうと思う。
臭い芝居はココにはない。
オーバーアクションもない。
役者は完全に役そのものと化していた。
こういう演技を求めていた。
すべての映画演技・舞台演技・テレビ演技が希求すべき演技だ、と私は思う。
山下監督に感謝する。
観たい演技が日本映画で観られたことに…。
山下監督の他の映画を私は未だ観ていない。
もしかしたら、この監督の映画はすべてこうした演技を要求し表現しているのではないかと思った。
他の映画も観よう。
2006年07月28日
「海の上のピアニスト」1999年(米/伊)
原題は、THE LEGEND OF 1900
映画詳細は → allcinema
アメリカへの移民船に生まれて間もない赤ん坊が捨てられていた。
船の石炭工が引き取り、無国籍の“どこにも居ない”人間として船の中だけで育ち、船内のピアノを弾きとなるが、その両手は天才的な音楽、どこにもない音楽を奏でるようになる。
・・・・。
名前は、育ての工夫の名と、1900年に生まれたことから、ナインティーン・ハンドレッド(1900)と付けられるのだ。
映画の中で名前を呼ばれるのだが、
ナインティーン・ハンドレッド!
いい響きだ…。

時化で大きく揺れる船底で揺りかごもまた右・左に大きく揺れるが、ナニンティーン・ハンドレッドはすやすや眠りについている。
この物語りの語り部であるトランペット吹きが揺れる船の中を這い蹲り右ひだりによろめきながら嘔吐しているのに、
青年になったナインティーン・ハンドレッドはまるで平地にいるかのごとく、真っ直ぐに歩くのだ。
ソロのピアノ曲はふわふわには大切な音楽だ。
映画で使われている曲は、当然にオリジナルで、それもエンリオ・モリコーネが心を込めて作ったのだろう。
素晴らしい!
監督は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ。
まあ、あちこちの映画評を読むと賛否両論で、(映画をなめんなよ!)などと勇ましい言葉を綴るお方もいらっしゃるし、
手放しで褒め称える人もいる。
ふわふわは、当然ここにエントリーするくらいだから、「お気に入り」に入るに決まってる。
映画の終末が納得いかないという感想もあるけれど、
人生そう上手くはいかないし、頑固に生き通すことでさびしい死を迎えても、
もともと世界に向かっては無いに等しい無国籍・船の住人であるナインティ・ハンドレッドである。
ただあるように、世界にそのように存在したように生き、死んでいくだけのことなのだ。
抱いた希望はあるが、それは陸世界というカオスの中で自分を見失う道へ踏み込むことでもあるのだ。
有限な船の中で、そしてピアノの鍵盤の88個というこれも有限の世界の中で、自分の心だけは無限の音楽と人生を奏でることが出来る。
それで充分なのだ
一度は、船で出会った女性を追って陸に上がろうとするが、タラップの途中で被っていた帽子が飛ぶ。
彼は踵を返し船に戻ってしまうのだった。
巨大な陸文明の声を聞いてしまったナインティーン・ハンドレッド…
主人公ナインティーン・ハンドレッドを演じたのは“猿の惑星”で熱演したティム・ロス。
この映画の語り部トランペット吹きを演じたのは、Pruitt Taylor Vince (プルット・テイラー・ヴィンス)で、彼は“モンスター”“アイデンティティ”などに出演している。
彼の目は独特だ。
あの眼振は演技なのか、それとも眼振は演技とは関係ないものなのか、
いつも気になる…。
だから彼が出ている映画ではついつい目ばかりを追うことになってしまう…
今のところ、必ず眼振の映像には出合えている(^^;)
この太った俳優さん、けっこう好きです。
「海の上のピアニスト」・・・いい映画です、ふわふわにとっては・・・。
映画詳細は → allcinema
アメリカへの移民船に生まれて間もない赤ん坊が捨てられていた。
船の石炭工が引き取り、無国籍の“どこにも居ない”人間として船の中だけで育ち、船内のピアノを弾きとなるが、その両手は天才的な音楽、どこにもない音楽を奏でるようになる。
・・・・。
名前は、育ての工夫の名と、1900年に生まれたことから、ナインティーン・ハンドレッド(1900)と付けられるのだ。
映画の中で名前を呼ばれるのだが、
ナインティーン・ハンドレッド!
いい響きだ…。
時化で大きく揺れる船底で揺りかごもまた右・左に大きく揺れるが、ナニンティーン・ハンドレッドはすやすや眠りについている。
この物語りの語り部であるトランペット吹きが揺れる船の中を這い蹲り右ひだりによろめきながら嘔吐しているのに、
青年になったナインティーン・ハンドレッドはまるで平地にいるかのごとく、真っ直ぐに歩くのだ。
ソロのピアノ曲はふわふわには大切な音楽だ。
映画で使われている曲は、当然にオリジナルで、それもエンリオ・モリコーネが心を込めて作ったのだろう。
素晴らしい!
監督は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ。
まあ、あちこちの映画評を読むと賛否両論で、(映画をなめんなよ!)などと勇ましい言葉を綴るお方もいらっしゃるし、
手放しで褒め称える人もいる。
ふわふわは、当然ここにエントリーするくらいだから、「お気に入り」に入るに決まってる。
映画の終末が納得いかないという感想もあるけれど、
人生そう上手くはいかないし、頑固に生き通すことでさびしい死を迎えても、
もともと世界に向かっては無いに等しい無国籍・船の住人であるナインティ・ハンドレッドである。
ただあるように、世界にそのように存在したように生き、死んでいくだけのことなのだ。
抱いた希望はあるが、それは陸世界というカオスの中で自分を見失う道へ踏み込むことでもあるのだ。
有限な船の中で、そしてピアノの鍵盤の88個というこれも有限の世界の中で、自分の心だけは無限の音楽と人生を奏でることが出来る。
それで充分なのだ
一度は、船で出会った女性を追って陸に上がろうとするが、タラップの途中で被っていた帽子が飛ぶ。
彼は踵を返し船に戻ってしまうのだった。
巨大な陸文明の声を聞いてしまったナインティーン・ハンドレッド…
主人公ナインティーン・ハンドレッドを演じたのは“猿の惑星”で熱演したティム・ロス。
この映画の語り部トランペット吹きを演じたのは、Pruitt Taylor Vince (プルット・テイラー・ヴィンス)で、彼は“モンスター”“アイデンティティ”などに出演している。
彼の目は独特だ。
あの眼振は演技なのか、それとも眼振は演技とは関係ないものなのか、
いつも気になる…。
だから彼が出ている映画ではついつい目ばかりを追うことになってしまう…
今のところ、必ず眼振の映像には出合えている(^^;)
この太った俳優さん、けっこう好きです。
「海の上のピアニスト」・・・いい映画です、ふわふわにとっては・・・。
2006年07月26日
『17才のカルテ』 1999年(米)
映画の詳細は → 『17才のカルテ』
主人公【境界性人格障害】スザンナを演じるのは、ウィノラ・ライダー
もうひとり重要な登場人物 リサ【反社会的人格障害】 を演じたのは、ボーン・コレクターに出演したアンジェリーナ・ジョリー
他に【空想虚言症】のジヨージーナ、【神経性無食欲症】のジヤネット、【神経性大食症】のデイジー、【反抗挑戦性障害】のポリー、そして【外傷後ストレス障害】のポリーらが入院仲間である。
精神医学はこれらの病名の他にいったいどれほどの病名を管理しているのだろうか。
この分類整理がどれほど的確なのかどうか素人のふわふわにはワカラナイが、
実際にこのような症状を持つ社会への適応が困難な少女達がいることは確かなことなのだ。
成長し、大人になるに従って治癒することもあるのだろう。
治癒しないにしても、症状が改善され一応社会生活を営んでいる人たちも当然いるだろうと思う。
長期に渡り入院生活を送る子、一年ほどで退院して行く子それぞれ症状の改善の度合いが異なる入院者の共同生活に様々な事件が起こるのだ。
多くは幼い頃の家庭生活上で問題を抱えていたということのようだ。
スザンナ役のウィノラ・ライダーはこの映画に製作総指揮を買って出るほど原作にほれ込んだそうだ。
彼女は「エイリアン4」「若草物語」などに出演した。
この映画では何と言っても、リサ無しでは物語りが進まないほど話の中心にいつも居る。
演じるアンジェリーナ・ジョリーの演技には目を見張るものがあった。
卑猥で暴力的、そして他人の心を思いやる優しさを全く持ち合わせていないかのような言葉を仲間であれ誰であれ投げつけるリサを迫真の演技で見せ付けたのだった。
とにかく 凄い! という他ないほど、ふわふわは改めて彼女の俳優としての才能に驚く。
1998年「ジーア/悲劇のスーパーモデル」の彼女の体当たりの演技も凄いと思ったが、この映画の彼女は「ジーア」出演後の映画だが、体重をかなり落としたて臨んだのだと思う。
コケタ頬や鋭い視線、全身から発する病的な反抗的態度などは、「ジーア」では決して観ることの出来ないものだった。
残念ながら、彼女が出演した映画は「すべては愛のために」「ジーア」そしてこの「17才のカルテ」以外はたぶん観ていないので、機会があったらいろいろ観てみたいと思う。
けれど、有名どころの「トゥームレイダー」や「60セカント」は観る気がしないので避けるとして、あと何を観たらいいだろう?
新しいところでは、「Mr.&Mrs.スミス」があるが、これもどうもふわふわの観たい映画ではなさそうだし。
結局なかったりして…(笑)
ま、いいか、先にあげた三本を繰り返し観れば良いのだから。
そして最後に、「17才…」の映画のラストシーンで、リサが流す涙はふわふわの心を鷲掴みにした・・・・・・・。




